迫撃砲(Pz Mrs、重量12,5トン) の照準手(銃砲のねらいをつけて定める事)の6週間に渡る兵舎内での訓練は、正確さと迅速なる操作を要し、手先の集中力と繊細さを要するもので、全員が何回も注意されながら、真剣に取り組んだという。

迫撃砲; 口径が大で抱身が短い軽便な火砲。近距離で遮蔽(遮蔽)内の敵陣に弾丸を曲射するのに適する。通常、弾丸を砲口から装墳する。(広辞苑)
 
12月に入り、中部ドイツのハメルブルグにある軍の演習場に、20人の中隊で軍のバスで迫撃砲の訓練演習に6日間出かけたそうだ。

1回ドライブインで短く休憩して、片道5時間半ハメルブルグまでかかり、その週末は帰宅しなかった。(バスには100km/hの制限時速がアウトーバーンにある。)

そこでは食事や休憩が出来るバラック(ポルトガル語が語源のバロック=歪んだ真珠、から来ている)小屋様の兵舎があり、夜は簡易ベッドで靴を脱いで、横になる事も出来たそうだ。

12月のドイツはかなり寒い、緯度を見ると南サハリン辺りと同じである。

迫撃砲を撃つ音は凄まじく、耳栓をし、更に帽子の上から耳を保護するが、
それでも大きい音だと言う。指令を受けて操作して撃った後は、すぐしゃがんで頭を抱え、体を小さくして自分を保護するのだそうだ。

その衝撃風波も強く、頬を掌で力を入れて打たれたような、あるいは風に頬を蹴られたようなと表現した方が正確な強烈な感じだったという。

爆発音と衝撃風波が、全身全霊を揺さぶるようで最初は戦慄を覚えたという。

全身に受けるその大きな刺激は、今まで全く感じた事もない風波と聞いた事もない爆発の音の経験で、知らない種類の物だったと言う。
後には、「僕にとっては最高の経験だったよ」と語っていた。

帰宅した時、デジカメで取った迫撃砲演習の動画を見せながら、演習の説明をしてくれた。
その動画を見た時、初めて見る世界に私自身も何やら衝撃を受けた。

それは、荒涼とした原野に戦車が何基も見えて、指令する声にも真剣味があり、キビキビと指令に従い、正確な動きと反応で操作し、爆破音も聞こえた。

映画ではなく、現実の若いドイツの兵士や息子の真剣そのものの世界だった。

これを経験して、息子が急速に男になっていく事が予想され、それは私のイメージに残る半年前の高校生の頃の息子ではなく、まるで別人のように訓練された若い男性であった。

中部ドイツは丘陵地帯が多く、せいぜい1000mの山が少しある位である。
以前国道で戦車の列に出会い、驚いた事があった。

陸が続いているから、向こうの丘からいつ戦車が出てきてもおかしくないような、感じになる時がある。

今も頻繁に、時に触れ折に触れ、ドイツのテレビで流される、戦争時の白黒のドキュメンタリー映画の影響かもしれない。

ドイツ国民に、(過去の不幸を忘れてはいけない!)と言う警告の意味が隠されていると私は感じる。現に、多くのドイツ人は、スイス程ではないが、多くの食料品のストックを持つ家族が案外多く、どこかに危機感が隠れている。

 わずか12年間で歴史が転倒し、そして戦後63年、こんなにも長い間、ドイツ国内で、戦争が起きていない、こんなにも長い間平和な時間が流れているという事実は、ドイツの歴史の中で、始めての出来事である。
 
 ドイツの全ての国道にかかる橋には、丸い黄色い標識があり、そこには数字のみが書かれてある。各種戦車の重量制限の目安となっている。
その標識の意味を知らない日本人が案外多い。
                           (つづく)

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