08.09.2008 am Montag
author : 永冶ベックマン啓子 Keiko Nagaya Beckmann
3月31日の兵役終了の日が近くなると、毎日のように、夕刻の自由時間にバードライヘンハルの町に、仲間達と一緒に食事に出かけたり、近くにある軍人専用トレーニングルームで筋トレをしたと言う。
もうハードな訓練は十分したから、早く終わりが来ると良い、と言う時期があったのに、終わりが近くなると、もう2~3ヶ月居てもいいかな、との思いに皆成ったようだ。
息子の部屋の仲間は、義務兵役を終えたら全員家に戻り、職業教育の続きや大学進学を考えていると言うことだった。
息子が知っている何人かは軍に残り、志願兵になりたい者がいたそうだ。
授業の時にも話があり、興味がある者は募集もしているから、担当官に何でも相談するようにとの案内があったという。
アフガニスタン南部への派遣の話が出てから、急に志願兵は足りなくなっているそうだ。 経済的理由のみ、あるいは適性や能力が認められない場合は採用されなく、有能な人物の志願兵が少ないのが、問題であるという。
国防軍が必要としている兵士は、磨けば質が高くなる有望な人物であり、問題があり適正がなければ、採用されないという。
9ヶ月間の兵役義務後は、海外での平和維持活動と人道主義の為に、8ケ所の国外派遣団に参加する条件で、更に14ヶ月間の訓練を受け、国防軍に就職する事になる。
1人は、基幹学校の卒業試験に合格していなく、チェコの国境に近い田舎に戻っても、学校を卒業しないと職業教育も受けられないし、卒業しても仕事もないし、どうしてもここにいたいと話していたそうだ。
軍にいれば職業教育を受ける事も出来、衣、食、住は贅沢を言わなければ一応無料で提供され、収入も少なくても少しずつ位が上がれば増えて行く、との理由で、少なくとも4年間はいたいとの話だった。
お金は使う必要もあまり無いので、将来の為に貯金する、とも語っていたようだ。
元東ドイツから来ていた仲間は、やはり家に戻ってもそこでは仕事がないから、軍に残り、トラック、バスの運転免許や特殊な車種の免許を取りたいとの希望をもち、数年間は軍に居たいと言う希望だった。
あるイタリア人の父親(職業はVIP用ドライバー)から聞いたが、空軍にいる息子(母親はドイツ人)はどうしても旅客機のパイロットになりたく、軍でパイロットになってから、継続教育(ここで2万ユーロ必要)を受けてなる予定だそうだ。息子をどうしても援助したいとの話だった。
士官や将校になりたい者は、ミュンヘンとハンブルグに国防大学がある。
授業料なしで、給与も得ながら、後に拘束は一定期間あるが、勉強する事が出来る。
国防軍はドイツ最大の仕事の提供先でもあり、全部で400種類の職業がある。今までの教育レベルに合わせて、本人の意思と意欲さえあれば、様々な可能性が見つけられる。
しかし、政府は2010年には男女25万人の規模にまで縮小するべきだとされている。
兵役最期の日、恒例の兵役終了の儀式が、兵舎で行われた。
迷彩色のユニフォームは脱ぎ、全部軍に戻し、足りないと罰金の支払いになるそうだが、靴等は個人の所有物になるそうだ。
兵役引退者(Ausscheider)そして、国防運のシンボルマークの上に“自由が再び私に戻って来た”と書かれた白いTシャツを着て、仲間や隊長がマジックでお互いに名前を書き合い、ワッペンをつけたり、名前を交換して縫い付けたり、軍の楽団演奏の中で、ビールを飲んで伝統の歌を歌い終了のお祝いパーティを賑やかにしたそうだ。
登山用ピッケル、山岳隊のエーデルヴァイスと迫撃砲部隊のバッチをつけた帽子の記念品が渡されて、大切そうに家に持ち帰った。
ミュンヘンに一緒に戻った3人で、また市庁舎前のマリエン広場でお祝いして、遅く帰宅した。本人に感想を聞くと「・・・男になった」と一言。
「お母さん、これ僕の勤務成績証明書」と、1枚の紙を手渡された。 (つづく)
もうハードな訓練は十分したから、早く終わりが来ると良い、と言う時期があったのに、終わりが近くなると、もう2~3ヶ月居てもいいかな、との思いに皆成ったようだ。
息子の部屋の仲間は、義務兵役を終えたら全員家に戻り、職業教育の続きや大学進学を考えていると言うことだった。
息子が知っている何人かは軍に残り、志願兵になりたい者がいたそうだ。
授業の時にも話があり、興味がある者は募集もしているから、担当官に何でも相談するようにとの案内があったという。
アフガニスタン南部への派遣の話が出てから、急に志願兵は足りなくなっているそうだ。 経済的理由のみ、あるいは適性や能力が認められない場合は採用されなく、有能な人物の志願兵が少ないのが、問題であるという。
国防軍が必要としている兵士は、磨けば質が高くなる有望な人物であり、問題があり適正がなければ、採用されないという。
9ヶ月間の兵役義務後は、海外での平和維持活動と人道主義の為に、8ケ所の国外派遣団に参加する条件で、更に14ヶ月間の訓練を受け、国防軍に就職する事になる。
1人は、基幹学校の卒業試験に合格していなく、チェコの国境に近い田舎に戻っても、学校を卒業しないと職業教育も受けられないし、卒業しても仕事もないし、どうしてもここにいたいと話していたそうだ。
軍にいれば職業教育を受ける事も出来、衣、食、住は贅沢を言わなければ一応無料で提供され、収入も少なくても少しずつ位が上がれば増えて行く、との理由で、少なくとも4年間はいたいとの話だった。
お金は使う必要もあまり無いので、将来の為に貯金する、とも語っていたようだ。
元東ドイツから来ていた仲間は、やはり家に戻ってもそこでは仕事がないから、軍に残り、トラック、バスの運転免許や特殊な車種の免許を取りたいとの希望をもち、数年間は軍に居たいと言う希望だった。
あるイタリア人の父親(職業はVIP用ドライバー)から聞いたが、空軍にいる息子(母親はドイツ人)はどうしても旅客機のパイロットになりたく、軍でパイロットになってから、継続教育(ここで2万ユーロ必要)を受けてなる予定だそうだ。息子をどうしても援助したいとの話だった。
士官や将校になりたい者は、ミュンヘンとハンブルグに国防大学がある。
授業料なしで、給与も得ながら、後に拘束は一定期間あるが、勉強する事が出来る。
国防軍はドイツ最大の仕事の提供先でもあり、全部で400種類の職業がある。今までの教育レベルに合わせて、本人の意思と意欲さえあれば、様々な可能性が見つけられる。
しかし、政府は2010年には男女25万人の規模にまで縮小するべきだとされている。
兵役最期の日、恒例の兵役終了の儀式が、兵舎で行われた。
迷彩色のユニフォームは脱ぎ、全部軍に戻し、足りないと罰金の支払いになるそうだが、靴等は個人の所有物になるそうだ。
兵役引退者(Ausscheider)そして、国防運のシンボルマークの上に“自由が再び私に戻って来た”と書かれた白いTシャツを着て、仲間や隊長がマジックでお互いに名前を書き合い、ワッペンをつけたり、名前を交換して縫い付けたり、軍の楽団演奏の中で、ビールを飲んで伝統の歌を歌い終了のお祝いパーティを賑やかにしたそうだ。
登山用ピッケル、山岳隊のエーデルヴァイスと迫撃砲部隊のバッチをつけた帽子の記念品が渡されて、大切そうに家に持ち帰った。
ミュンヘンに一緒に戻った3人で、また市庁舎前のマリエン広場でお祝いして、遅く帰宅した。本人に感想を聞くと「・・・男になった」と一言。
「お母さん、これ僕の勤務成績証明書」と、1枚の紙を手渡された。 (つづく)
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