27.09.2008 am Samstag
author : 永冶ベックマン啓子 Keiko Nagaya Beckmann
日時 ; 9月17,18,19日 の3日間。
夕刻5時より 22;30 分まで。18日は22;00まで。
場所 ; 帝国ホテルの前、、日比谷花壇の横、大噴水の横です。
出演者 ; 「トップ プルス 4」、男性5人の楽団、300曲のレパートリ。
1973年ミュンヘンで結成。(全員兵役経験者)
国内はもとより、世界各地で演奏活動、映画にも2回出演、
リーダーのエングルマン氏は、偶然息子が9ヶ月間過ごしたバードライヘンハルの山岳隊の先輩。劇団を持ちその団長。
医療器械の会社社長、昨年演劇賞をミュンヘン市から受賞。
ベロニカ・レンツ 世界的なベテラン ヨーデル歌手。
(エーデルワイスの歌は心にしみると定評)
モニカ、ヤスミン は カウベルとシロフォン演奏
http://www.oktoberfest.jp
お時間のある方、是非起こし下さいませ。
私は、ステージの後ろか横にいつもおりますので、お声をかけて下さいませ。
2005年秋が東京オクトーバフェストの第1回目、それ以来本年の9月は定例化されまして第4回目が開催されます。
2004年の秋、大阪食博の団長そして準備委員会がミュンへのあるビール会社を訪問し、食博参加の依頼をする通訳を私が担当。しかし、ビール会社の都合が生憎悪くなり、後に断りの連絡がありました。
その後さあ大変、どうしましょうと、参加可能なビール会社とビール祭り用の楽団を探す事を依頼され、幾つかの楽団を聞いて探しました。インスピレーションを得たのが、今のエングルマンさん達のグループでした。
ビール会社も美味しい所が見付かりました。
大阪食博では、全てが予想以上で、ビールが無くなってしまう程の売れ行き、大変な盛り上がりで、小さな子供達も大人も、音楽を聞いていると体が自然に動き出して踊り出し、今までにない楽しいお祭り会場となりました。
訪問されていた東京都副都知事が、「これは本当にうらやましい、素晴らしいお祭りだ。是非東京でもこんなビール祭りがしたい」と言う話になりました。
その年は、サッカーのワールドカップのお祝いもありましたから、ドイツ大使や、ドイツ商工会議所会長(ミュンヘンの方でした)、東京都の方など開会式に参加されて、都内で働くドイツ人、同じフライトだったルフトハンザのクリュー、もかけつけ、成功に終わりました。
エングルマンさんは、音楽の世界でも人気のあるプロで、雰囲気を盛り上げたり、静かにさせたり、コトロールが上手いです。丁度今年67歳で定年です。
彼の山岳隊での兵役の時は、15ヶ月と長く、特別寒さが厳しい年で、ここまで訓練する必要がないのでは、と思うほど厳しい内容だったそうです。
「山岳隊では規律(Disziplin)を学び、仲間と協力する事を学び、あの時本当に鍛えられました。今の私はあの時に基礎が作られ、あの経験がなければ、今の私は無いといえる位です」、との感想を聞きました。
日比谷公園は明治36年、日本で最初に都市計画によって誕生した西洋風の都市公園ですね。本田静六(1866~1952)は、埼玉県出身で、1901年この日比谷公園を設計され、日本の林学博士、農学教授、造園家で、造園の父とも言われた方です。
1890年 ドイツへ留学、ミュンヘン大学で学び、ドレスデン工科大学林学部で学ぶ。ドイツ人 ブレンターノ教授の教えから、「四分の一貯金法」や森林への投資により、大きな財産を築いたのですが、全財産を寄付し、後輩の相談や、数々の著作の執筆などで、忙しく楽しく充実した生涯を送ったそうです。
何百冊とある著書の中の一節 ;
「 一体、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定させられるものである。」
「人生即努力 努力即幸福」 これが 本多静六教授の積極思考の人生哲学でした。
夕刻5時より 22;30 分まで。18日は22;00まで。
場所 ; 帝国ホテルの前、、日比谷花壇の横、大噴水の横です。
出演者 ; 「トップ プルス 4」、男性5人の楽団、300曲のレパートリ。
1973年ミュンヘンで結成。(全員兵役経験者)
国内はもとより、世界各地で演奏活動、映画にも2回出演、
リーダーのエングルマン氏は、偶然息子が9ヶ月間過ごしたバードライヘンハルの山岳隊の先輩。劇団を持ちその団長。
医療器械の会社社長、昨年演劇賞をミュンヘン市から受賞。
ベロニカ・レンツ 世界的なベテラン ヨーデル歌手。
(エーデルワイスの歌は心にしみると定評)
モニカ、ヤスミン は カウベルとシロフォン演奏
http://www.oktoberfest.jp
お時間のある方、是非起こし下さいませ。
私は、ステージの後ろか横にいつもおりますので、お声をかけて下さいませ。
2005年秋が東京オクトーバフェストの第1回目、それ以来本年の9月は定例化されまして第4回目が開催されます。
2004年の秋、大阪食博の団長そして準備委員会がミュンへのあるビール会社を訪問し、食博参加の依頼をする通訳を私が担当。しかし、ビール会社の都合が生憎悪くなり、後に断りの連絡がありました。
その後さあ大変、どうしましょうと、参加可能なビール会社とビール祭り用の楽団を探す事を依頼され、幾つかの楽団を聞いて探しました。インスピレーションを得たのが、今のエングルマンさん達のグループでした。
ビール会社も美味しい所が見付かりました。
大阪食博では、全てが予想以上で、ビールが無くなってしまう程の売れ行き、大変な盛り上がりで、小さな子供達も大人も、音楽を聞いていると体が自然に動き出して踊り出し、今までにない楽しいお祭り会場となりました。
訪問されていた東京都副都知事が、「これは本当にうらやましい、素晴らしいお祭りだ。是非東京でもこんなビール祭りがしたい」と言う話になりました。
その年は、サッカーのワールドカップのお祝いもありましたから、ドイツ大使や、ドイツ商工会議所会長(ミュンヘンの方でした)、東京都の方など開会式に参加されて、都内で働くドイツ人、同じフライトだったルフトハンザのクリュー、もかけつけ、成功に終わりました。
エングルマンさんは、音楽の世界でも人気のあるプロで、雰囲気を盛り上げたり、静かにさせたり、コトロールが上手いです。丁度今年67歳で定年です。
彼の山岳隊での兵役の時は、15ヶ月と長く、特別寒さが厳しい年で、ここまで訓練する必要がないのでは、と思うほど厳しい内容だったそうです。
「山岳隊では規律(Disziplin)を学び、仲間と協力する事を学び、あの時本当に鍛えられました。今の私はあの時に基礎が作られ、あの経験がなければ、今の私は無いといえる位です」、との感想を聞きました。
日比谷公園は明治36年、日本で最初に都市計画によって誕生した西洋風の都市公園ですね。本田静六(1866~1952)は、埼玉県出身で、1901年この日比谷公園を設計され、日本の林学博士、農学教授、造園家で、造園の父とも言われた方です。
1890年 ドイツへ留学、ミュンヘン大学で学び、ドレスデン工科大学林学部で学ぶ。ドイツ人 ブレンターノ教授の教えから、「四分の一貯金法」や森林への投資により、大きな財産を築いたのですが、全財産を寄付し、後輩の相談や、数々の著作の執筆などで、忙しく楽しく充実した生涯を送ったそうです。
何百冊とある著書の中の一節 ;
「 一体、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定させられるものである。」
「人生即努力 努力即幸福」 これが 本多静六教授の積極思考の人生哲学でした。
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