11月9日という日

                      永冶ベックマン啓子
 
今からちょうど85年前、第一次世界大戦後の超インフレ時代、1923年11月9日、ミュンヘン一揆が起きている。
ヒトラー・ビヤホール・プッチとも言うが、クーデター未遂事件である。

11月8日夜市内のブリュガーブロイ ケラー(今も残る)でバイエルンの有力者州総監や州軍司令官が集まっている中、ヒトラーは600人の武装したSA(ナチス突撃隊)と共に襲い、ピストルで脅迫し、(国民一揆)に協力させようとした。

翌日11月9日、バイエルンの独裁官カールに圧力をかけようと、ミュンヘン市の中心部オデオンス広場に2000~3000人でデモ行進して出ようとした所で、警察隊に阻止されて撃ち合いになった。

カールは一応は約束したものの、軍部や官僚の反対にあって約束を破り、ヒトラーに反対する立場を取った。

撃ち合いの時には、ヒトラーは地面に転倒して弾丸を退避したが、多くの死者も出した。その近くのブリエーナ通りの一画の芝生に、慰霊碑がたち、永遠の炎が現在も燃えている。

 この折に、ヒトラーの一揆は失敗となり、5年間の禁固刑となり、現在人気のある観光地、2000年の通商の歴所を持つロマンチック街道の町、ランズベルグ アム レッヒに現在もある赤い屋根の刑務所に入る。

刑務所の中で、当時秘書官だったルドルフ・ヘスに口述筆記をさせて出来上がった本が“わが闘争”Mein Kamp である。彼の日本人観と日本人の悪口も数行書かれている。ルドルフ・ヘスはニュルンベルグ裁判で発狂し、後ベルリンのシュパンダウの刑務所で首吊り自殺を遂げた。90歳だった。

ヒトラーは刑務所の中では模範囚だったので、1年で出獄している。
この後彼は戦略を180度変更し、ビアホール・プッチから10年後1933年には合法的に権力を獲得した。

今から70年前、1938年11月9日夜から、10日未明にかけて、“帝国水晶の夜 ”といわれるが、ナチス党員・突撃隊がドイツ全土のユダヤ人住宅、商店、シナゴーグなどを襲撃、強奪もし放火し、ユダヤの本を燃やした事件である。

 破壊され、砕け散在したガラスの破片が、月明かりや火に照らされてキラキラと水晶のように輝いた事から、水晶の夜(クリスタル・ナハト)と呼ばれた。

この頃、アメリカのユダヤ人協会に、ドイツ在住の全ユダヤ人をお金と交換に引き渡したい、との交渉もされたという。

皮肉にも、ナチス体制に疑問を持っていた、パリのドイツ大使館員が、ドイツ生まれのユダヤ人青年に撃たれ、9日に亡くなるという事件が原因とされた。

1919年、11月9日ドイツ革命の折、皇帝ヴィルヘルム2世がオランダ亡命をしている
1989年 11月9日 ベルリンの壁崩壊の日でもある。

1517年宗教改革で知られる マルチン・ルターは、その反ユダヤ主義がナチズムに影響したとされるが、誕生日が11月10日。

「もし、 誰かが明日 この世が滅びると告げたとしても、私は今日1本のりんごの木を植えよう」12の顔を持ち、ドイツ人の典型とされたルターの言葉。
これを、ドイツの戦闘的楽天主義という。

毎年、毎年、この11月9日には、古い白黒の当時のドキュメンタリー・フィルムが、どこかのテレビ局から必ず流される。

どんなに、おぞましく 醜い過去でも、事実は直視すべきだ、と多くの特に若いドイツ人達には積極的な姿勢が見られる。過去の間違いを繰返してはいけないと考えるが、それでも人間は同じような間違いを繰り返す、人の宿命なのか。
ダッハウの強制収容所へも、市内の高校生は歴史の時間に訪問する。

戦争を知らない世代の者は、過去の自分の国の歴史を正しく知る権利がある。
戦争や事実を知る世代は、戦争と近代史の正しい事実を、知らせる義務があると思う。事実は神聖なものと理解しているが。         5.11.2008

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