ミュンヘン市立生産学校 ( Produktionsschule ) 
これは、職業を準備する為の 職業学校で、ドイツの16の各州にある。
ドイツの義務教育 10年間の基幹学校(Hauptschule)卒業試験が合格できなかった生徒達、職業教育を始めたが、満足いかず変更したい場合、外国人で働く為に不足しているドイツ語、専門用語や其の他知識を増やす為のを勉強したい者達が無料で勉強できる幅広い教育の場である。
また失業したり訓練生としての職場を持たない青少年の割合は、15歳から19歳までで1,8%に当たるという。この数字は比較的低いともいえるだろう。またこの卒業試験合格書がないと、ドイツでは職業学校や実習先会社での見習いの就職が不可能である。
その卒業試験が合格出来なかった全員の生徒の名前 住所 連絡先が、ミュンヘン市の場合は、市立の生産学校に連絡されて、学校が生徒にコンタクトを取っている。
自分が選択した職業教育に満足出来ず、中断した場合も、この学校に連絡を取る事ができる。生産学校の入学金や授業料はない。
そこは職業を準備するための職業学校で、実践しながら学ぶ事 “Learning by doing“ をモットーとしている。例えば、どのメーカーの500gのコーヒーを使い、何杯の美味しいコーヒを入れられて、いくらで売ればいいか、このテーマで実習し、そのあとで何をしたかを理論で書いて計算してまとめると、全員真剣になり良い疑問や質問が出て、良い授業が出来るという。
普通の授業が成立しなくて、落ちこぼれを作るのは、 もしかしたら教師の教える工夫と技そしてつまるところ資質にも大いに関係してくるのではないかと考えられる。
これが反対になると、多くの基幹学校のように時には授業が成り立たない場面が生じてくる。だから、同じスタイルの授業を繰り返しても、意味が無いわけである。
人の能力は多様なもので、ある面では生徒を理解させるのは、教師の能力と資質に拘るとも言える。学力低下、落ちこぼれを作るのは、教育側の問題でもある。
とにかく個々の生徒の要望と必要性を考慮して、工夫が凝らされた授業が行われている。卒業試験に再チャレンジする意志がある者は、その為の集中的な勉強準備も出来る。試験に合格しないのが、即人間性を否定されるものでもなく、新たなチャンスを与えることだ。若者に確かな仕事と将来をあたえるのは、ドイツでは国の仕事である。
弱者の子供にも仕事と確実な将来を与えられれば、その国は堅実な将来がある。

生産学校は市内に4校あるが、一番大きな学校が現在教師100人、社会教育学教師(Sozialpaedagoge)4人、生徒数1、700人となり、75%が移民の背景がある外国人、
(トルコ人、ロシア人、ポーランド人、アフガニスタン人,アフリカ人)
25%がドイツ人師弟である。女生徒が40%、そして男生徒が60%の比率である。
社会的に弱い構造の家族が多く、何らかの複雑な問題をみんな抱えているので、このドイツ社会の中で自分の居る場所を確保でき、自分に合う職業を身に付けて、自立できるようにと、多面的な教育経験援助を目的としている。“何が自分に出来るか合うか、やりたいかのか 動機に乏しい子は、その子を揺すぶって揺すぶって、何かを引き出しますと”、 真に教育者らしい真剣な言葉があった。
確かに、ドイツ語の Erziehung / 教育・訓練 とは、引っ張りだす、引き出すとの意味がある。
 4人のソチアルペダゴーゲは、午前中は誰でも相談に行け、午後はアポイントを取り、何でも相談を受けている。信頼出来て相談できる人が居るのは、問題のある青少年の場合は特に心理的、情報的にも大きな助けである。

昨年は婦人社会問題研究会の女性達と、本年は先日、日本の某大学人文社会学系の教授達とこの生産学校を視察訪問した。
 この生産学校には大きく分けると6つのコースがあり、飲食関係のガストロ・チーム、 ,木工家具製造修理・木の虫チーム、メタル・チーム、自転車修理・組み立てチーム、 教育機関でのビストロ経営、各学校での文房具販売・名詞印刷 チーム、この中から自分の興味に従って選択する。英語 ドイツ語も学べる。
其の他 繊維洋裁、デザイン関係、栄養・家政学、電気技術部門もある。
他には、障害者や麻薬治療をしている者の為に、電気製品のリサイクル会社、園芸、農園、エネルギー源木のチップを作る会社などとの共同ワークがある。
旧東ドイツのドレスデン郊外にある生産学校を訪問した折には、壁塗り、木工作業、燃料用木のチップ作り、ビオの野菜作り、家畜飼育、電気製品のリサイクルがあった。障害者は仕事をしても殆ど収入にはならない程度なので、生活費は月額315ユーロ
(レート1,6で5万4百円、旧東ドイツの方がまだ支払いが少ない)そして家賃は福祉から出ていて、それで生活しているとの話であった。
それでも、社会の中に 自分が何かに役立ち働いて居る場所が確保されている。

学校には、コンピュータ―室もあり、就職応募をどの様にするかも、そこで学んでいた。自転車修理を学んでいた旧東ドイツ出の男の子は、父親がミュンヘンで仕事を見つけたので家族全員で来て、制度が異なり中途半端になり、この学校を紹介された。新しい自転車組み立てが上手く、既に就職先が決まり、嬉しそうであった。
また、園芸、スポ―ツ そして、ポニーと幼稚園の子供達を遊ばせる時間もあり、それらの経験を通して、不安感や恐怖感の克服、責任を持つ経験、社会と触れ合い、
人との接し方など、また何を食べるべきか飲むべきか、 自己啓発と自己管理、自己発見の経験などを多面的にさせている。
親がなんらかの事情で出来なかった教育を、ここでは受ける事ができる。
パーティサービス部門は、ミュンヘン市での催し物がある時は、注文から 最後 後片付け、請求書の書き方まで、催促状の書き方までコンピューターを使い学ばせるそうだ。大きな木のボート、大きなガ―デン用装飾品、家具などもグループで製作されていた。そこで、チームワークも学ぶ事になる。
何か形のあるものが完成すると、確かに達成感を感じる事が出来て嬉しいものだ。
殆どの生徒は就職出来ると言うが、ミュンヘンは現在仕事が多く、物価は高いがその点 恵まれている街である。日本の中央教育審議会をはじめ、教育関係の方達にこの学校をしっかり視察してもう一度日本の若者の現状と将来を考えて頂きたい。
 

社会正義と社会保障の実情
 ドイツでは、2007年の時点で国内総生産の27,4%が、社会保障関連に使われている。スウェーデン、フランスと共にドイツはこの比率は高い。
国を支える5つの柱と呼ばれる社会保険制度; 医療、年金、労災、介護、失業保険で国民の経済的・ 生物的・ 社会的問題を保護している。
この ドイツモデルは、実際に成功し、後に多くの他の国で模範例とされるまでになった。これが格差社会のギャップを埋める良い手段でもある。
それにも拘らず、ドイツでも格差社会は進み、富裕層は更に豊かになり、雲の上の生活者が大幅な脱税をしたりと、一般市民の反発は強い。
特に保険の中でも、ドイツ介護保険は実に良い制度で、導入当時より関連の通訳も多く経験してきた。後見人に関する世話法も改定されて、更に充実した内容になって来ている。
ドイツの場合は諸外国と比較しても最も充実したものに数えられ、経済協力開発機構/OECDの平均は20,4%、参考までに貧富の差が大きいアメリカは14,7%、となっている。それでは、日本はどうなのかと調べたら、17,7%となっていたが、これはドイツと比べると大幅に低い、低すぎるのではないか。
ドイツと比べると10%近くも少ないが、それでは 一体明日を担う子供の重要な教育以上に、他のどんな重要な事柄に国税が使われているのかを日本政府に問い合わせて知りたい思いだ。

年金健康問題
ドイツの電気料金、ガソリン代金の半分は税金であるが、それが 年金にあてがわれている。年金制度がしっかりしているはずの、ドイツでさえ、食料品など全ての物価ばかりが上昇して、年金生活者の生活は苦しくなるばかりの現状である。
健康保険は法律が改正されて、2007の7月より、今まで健康保険に入っていなかった人達が、法的に全員加入義務となり、2009年より、以前は加入していたが今現在支払っていない国民全員が加入する義務が出来てくる
健康保険料も毎年値上がり、 プライベートの保険料があまりにも高くなり、支払えなくなって居る人もかなり出て来ている。
ドイツの健康保険制度は、ベンツ車の車料金を支払ったのに、受け取ったのは安い一般大衆車であった、という印象が強い。
そういう社会の動きの中で、病気は医師が治すものではなく、自分の健康は自分で守ろうとの考えの動きが強く出てきている。
人は何を食べるかで決まるが、ミュンヘンにはヨーロッパ最大のバイオのスーパーマーケットもあり、どのスーパーにもバイオの食品コーナーが作られている。
市民の意識が、高くなりつつある。
歴史的には、鉄血(帝国)宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815~1898)が ドイツの公的社会保険制度の基礎を作り、1883年ドイツで初めて疾病保険、1884年労災保険、1889年には年金保険法を編み出して、社会主義運動を弾圧した“ 飴とムチ”の政策は知られるところであるが、実は当時わずか10%位の国民しか保護を受けられなかった。しかし、このドイツで始まつた社会保険の仕組みは、その後世界各国で導入されるようになった。
その後1950年代の後半、当時連邦経済大臣 ルードヴィヒ・エアハルトが ドイツに社会的市場経済を提案した時、“全ての人の為の豊かさ、そして社会正義”を目標として掲げた。
全ての国民の社会的・生物的・経済的リスクから守る事を、国の優先的使命と捉える社会国家を自ら認めている。つまり、国民の特に将来を担う若者の教育、 国民の健康といのち、国民のくらしを守る事が政府の重要な仕事で、優先的使命であるとしているが、考えてみれば当然の事ではないだろうか。
今日では 社会保障の保護を90%近くが受けている。




ドイツに暮らす外国人達
現在、ドイツの人口は、8,300万人で、欧州連合加盟国28カ国の中では、他を引き離して一番人口が多い国となる。
ドイツ全人口の9%に近い 700万人を超える外国人が現在ドイツに生活している。
これに加えて、ドイツ国籍を新たに取得した外国人が150万人、ドイツ系帰還移住者が約450万人となる。
1950年代の戦後復興期以来、スペイン、イタリア、ギリシャ、トルコなど外国の季節労働者を呼び寄せて安い労働力に依存してきた。
その後、多くは寒いドイツを嫌い本国へ戻った人が多いが、中にはそのまま多く居残るトルコ人達もいて、移住の国へと姿を変えた感がある。
共産主義体制の崩壊後、旧ソビエト連邦、ルーマニア、ポーランドで暮らしていたドイツ系の人達が、帰還移住者として大きな集団を形成している。
外国人の95%は、旧西ドイツの大きな都市で暮らしているので、地域によっては 人口の20~30%以上が外国人となるところもある。
そこは住居費も比較的安い地域でもあり、治安も残念ながら良くは無い。
 
ドイツの最大の外国人グループは、トルコ人で約180万人、次に多いのがイタリア人55万人、セルビア/モンテネグロ人 50万人、ギリシャ人 32万人、ポーランド人30万人、クロアチア人、ロシア人、ボスニア人、ウクライナ人、ポルトガル人、スペイン人 と続く。故郷を追われた難民の数は100万人以上となっている。
ドイツ国籍の取得が法的に簡単になったようだが、以前はドイツ国籍を貰えるのは外国人に取り大きな魅力であったようだ。筆者もドイツ国籍を取るように勧められた事があり、でも丁重に断ったので、役所の担当者は怪訝な顔をしていた。
アメリカ人と日本人はドイツの国籍取得を進めても、 断ると言うので 知られて居たそうだ。
とにかく、この数年間は地下鉄や電車に乗つても、聞いたことの無い言葉が耳に入り、アフリカ系の人が増えて、随分とドイツ社会の大きな変化に気がつく。
 多くの移住労働者達は、ドイツの職業訓練を受けていない人が多く、ゲーテ研究所や大学が作成した、外国人の為のドイツ語を学び、2段階の試験を受ければ単純で比較的簡単な仕事にはつける。中には専門職や専門の資格を取る人も居るが少ない。
例えば、ドイツ語を多く必要としないような仕事で介護士のアシスタントの仕事、ホテルのベッドメーキングやビル掃除など、従って社会的、経済的に上昇することは簡単ではなく、時間と努力を要するであろう。
多国籍移住者達の 社会的統合問題は、時間と共に包括的な法規定が定められたが、今後も、外国とドイツ社会との間で、平行社会、民族的ゲットーを阻止する為の
施策が考慮されていくであろう。



ヨーロッパのスラム街
2007年1月ブルガリア、ルーマニアが欧州連合に加盟したが、格差も大きくあり、
ルーマニアの北部バイア マーレには1000人以上のジプシーのスラム街がある。
ドイツ人のジャーナリスト2人が、そこに1週間滞在して始めて新聞に2ページ 写真入りでレポートされた。
麻薬、人身売買、暴力、子供の売春、上下水道無くゴミの山で子供達は食糧を探している。親は子供を学校に出す代わりに、物乞いに出す。
まるで地獄のような世界が、そこにはある。
それは 酷い話ばかりで、 数日間私は心が痛みっぱなしであったが、自分達で自分達を助けられるようにする援助であるべきだと考える。
あそこの悲惨な子供達を、放置するわけにはいかない。
近くの町には、欧州連盟からお金がかなり出たが、ジプシーの人達に家を建てる木材を与えても、アルコールに変わる可能性があり、家が建つかどうか分からないと話し、市長さんは忙しいといういう理由で、ジャーナリストのインタビューから逃げてしまったそうだ。
そのスラムで、ただ1人ベルナデッティという ドイツ人修道女が子供達を助けている。
ボスポラス・散在民族として定住文化を持たない文化を持つ人たちが居る。
この人達が少し肌が黒く、ジプシー・チゴイナーと呼ばれ、中世のころ、東北インドとエジプトの方から欧州に入ってきた人達で、市民として取り扱われなかつた。
昔は、馬車で田舎をまわり、旅の行商人として珍しい品物を販売したり、はさみや包丁トギ、占い師の名人、芸術家として 知られていたともいう。
気候の温暖なスペイン、フランス、イタリアに多く散在し、キャラバン生活で、
年一度スペインでボスポラス/散在民の大集会が行われている。
日本の旅行者は、獲物として狼のような目をしたジプシーの子供達のターゲットにしばしばなっているが、ものを取られた人には、「神の祝福がありますように」とお祈りをしてありがたく お財布などを頂くわけだ。
これも、ボスの命令で 子供達が働いているという。
ドイツでは、時々哀れな姿で赤ちゃんを抱いた女性が地面に座り込んで、寄付をお願いしているのを 見かける事があるが、取締りが厳しいのか最近は稀で見かけない。
ジプシーがいないのは、海があり簡単に移動出来なかった日本だけだ、とも言われる。
 昔から、定住生活が望まれて来ているが、その昔マリア テレージアも住居を与えたが、しばらくして空になってしまつたという。

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