16.01.2009 am Freitag
author : 永冶ベックマン啓子 Keiko Nagaya Beckmann
世界最大規模の民族の祭典、ミュンヘンのビール祭りは、今年は175回目が間もなくテレージアン・ヴィーゼ(草原)で開催される。
第1回目は、1810年。戦争やペストなどで中止された年もあるが、来る2010年には200周年記念祭を祝う事になる。
伝統的に9月の15日以降の土曜日に開催され、毎年10月の第1日曜日が最後の日になるように16~18日間開催されるが、本年は9月20日から10月5日までとなる。訪問客は平均650万人となる。最初の日曜日には、8000人の民族衣装でのパレードがあり、見学客で賑わう。
2ヶ月前から、仮設の固定式大レストラン・ビールテント、大観覧車、移動式大遊園地、見世物小屋、お化け屋敷、などが42ヘクタール(東京ドーム約9個分)の広い会場で準備される。
1番大きなテントには、1万人が入れるが、全部で10万席が用意される。
テントの中心地には、20人位の管弦楽団が入り、民族音楽などを演奏して
雰囲気が盛り上がり、全員で踊ったり、歌ったり、乾杯の歌が頻回に歌われる。
その食欲も、ビールの消費量も、初めて参加する人には、驚くべき量である。
底抜けに明るく、また逞しいバイエルン人のエネルギーの高揚を感じる。
10月祭とは言う物の、10月に入るとアルプスに近いミュンヘンは、急に寒くなるのが通例なので、1872年以来殆どが9月に為されている。
本年は4年に1回開催される中央農業、森林、食糧祭が開かれる。
国内、国外合わせて650の展示が12万平方メートルの敷地で9日間開催される。 様々な家畜の品評会もあり、収穫祭も兼ねている。
このお祭りの始まりは、1810年10月12日に バイエルン王家、ヴィッテルスバッハの王子ルードヴィッヒ1世(1786~1868)がテレーゼ・フォン・ザクセンと結婚し、17日競馬が行われてお祝いされた出来事である。
古代ギリシャの大ファンだった、ルードヴィッヒ1世は、古代オリンピックの競技会のようなお祭りを考えていて、これが熱狂的に歓迎された。
市内には、アテネ風の門や神殿も建てられ、ミュンヘンは“イザール河の畔のアテネ”の呼び名もある。次男オットーは、ギリシャの初代国王になっている。
彼は、「ミュンヘンを見なくして、ドイツを見たとは言えないような、立派な都にしたい」とのモットーで、美術館、多くの通り、広場、バロック建築の都作りに励んだ。
また、ドイツで始めての鉄道を、1835年ニュルンベルグ~フュルス間を走らせ、1838~45年ルードヴィッヒ・ドナウ・マイン運河を完成させている。
この王様は、生涯に渡り36名の女性を愛した事でも知られ、晩年スペインの踊り子、ローラ・モンテッツとの恋愛では国費にまで手をつけてプレゼントを重ね、これがスキャンダルとなり王位を去る事になった。
普段、ドイツ人はアルコールに酔う事は殆どなく、町で酔っぱらっているのはホームレス位だが、この時ばかりは例外がある。(日本を訪問したドイツ人にとり、日本のネクタイを締めた男性の酔っぱらい姿が多いのは、カルチャーショックであるようだ。)
以前は会場にゴミが溢れていたが、この20年位はゴミを作らないお祭りとなっている。プラスチックや紙、アルミ缶の容器を使用せず、全てデポジットを払い、皿やフォーク、ジョッキ等を返すと、お金が戻るシステムである。
ミュンヘン市民が、“ゴミは作らない、ゴミは買わない”、のモットーで生活しているから、この切り替えは当然の処置で、市民に直ぐ受け入れられた。
年間1人頭、100~110キロの燃えるゴミを出し、4箇所あったゴミ焼却所は現在1箇所のみ遠隔暖房用に使われているが、そこではゴミが実は足りない状況である。
平日は10時~23;30、週末と祝日は午前9時からオープンするので、ビールの朝食を楽しむ事も出来る。ビール純粋醸造令が生きているので、汚染米が使われているかもしれないなどと、心配する事もなく、安心して世界一安全な、普段よりはやや強めの美味しいビールを楽しむ事ができる。
品質の高さこそが、ドイツ人の誇りとアイデンティティである。
第1回目は、1810年。戦争やペストなどで中止された年もあるが、来る2010年には200周年記念祭を祝う事になる。
伝統的に9月の15日以降の土曜日に開催され、毎年10月の第1日曜日が最後の日になるように16~18日間開催されるが、本年は9月20日から10月5日までとなる。訪問客は平均650万人となる。最初の日曜日には、8000人の民族衣装でのパレードがあり、見学客で賑わう。
2ヶ月前から、仮設の固定式大レストラン・ビールテント、大観覧車、移動式大遊園地、見世物小屋、お化け屋敷、などが42ヘクタール(東京ドーム約9個分)の広い会場で準備される。
1番大きなテントには、1万人が入れるが、全部で10万席が用意される。
テントの中心地には、20人位の管弦楽団が入り、民族音楽などを演奏して
雰囲気が盛り上がり、全員で踊ったり、歌ったり、乾杯の歌が頻回に歌われる。
その食欲も、ビールの消費量も、初めて参加する人には、驚くべき量である。
底抜けに明るく、また逞しいバイエルン人のエネルギーの高揚を感じる。
10月祭とは言う物の、10月に入るとアルプスに近いミュンヘンは、急に寒くなるのが通例なので、1872年以来殆どが9月に為されている。
本年は4年に1回開催される中央農業、森林、食糧祭が開かれる。
国内、国外合わせて650の展示が12万平方メートルの敷地で9日間開催される。 様々な家畜の品評会もあり、収穫祭も兼ねている。
このお祭りの始まりは、1810年10月12日に バイエルン王家、ヴィッテルスバッハの王子ルードヴィッヒ1世(1786~1868)がテレーゼ・フォン・ザクセンと結婚し、17日競馬が行われてお祝いされた出来事である。
古代ギリシャの大ファンだった、ルードヴィッヒ1世は、古代オリンピックの競技会のようなお祭りを考えていて、これが熱狂的に歓迎された。
市内には、アテネ風の門や神殿も建てられ、ミュンヘンは“イザール河の畔のアテネ”の呼び名もある。次男オットーは、ギリシャの初代国王になっている。
彼は、「ミュンヘンを見なくして、ドイツを見たとは言えないような、立派な都にしたい」とのモットーで、美術館、多くの通り、広場、バロック建築の都作りに励んだ。
また、ドイツで始めての鉄道を、1835年ニュルンベルグ~フュルス間を走らせ、1838~45年ルードヴィッヒ・ドナウ・マイン運河を完成させている。
この王様は、生涯に渡り36名の女性を愛した事でも知られ、晩年スペインの踊り子、ローラ・モンテッツとの恋愛では国費にまで手をつけてプレゼントを重ね、これがスキャンダルとなり王位を去る事になった。
普段、ドイツ人はアルコールに酔う事は殆どなく、町で酔っぱらっているのはホームレス位だが、この時ばかりは例外がある。(日本を訪問したドイツ人にとり、日本のネクタイを締めた男性の酔っぱらい姿が多いのは、カルチャーショックであるようだ。)
以前は会場にゴミが溢れていたが、この20年位はゴミを作らないお祭りとなっている。プラスチックや紙、アルミ缶の容器を使用せず、全てデポジットを払い、皿やフォーク、ジョッキ等を返すと、お金が戻るシステムである。
ミュンヘン市民が、“ゴミは作らない、ゴミは買わない”、のモットーで生活しているから、この切り替えは当然の処置で、市民に直ぐ受け入れられた。
年間1人頭、100~110キロの燃えるゴミを出し、4箇所あったゴミ焼却所は現在1箇所のみ遠隔暖房用に使われているが、そこではゴミが実は足りない状況である。
平日は10時~23;30、週末と祝日は午前9時からオープンするので、ビールの朝食を楽しむ事も出来る。ビール純粋醸造令が生きているので、汚染米が使われているかもしれないなどと、心配する事もなく、安心して世界一安全な、普段よりはやや強めの美味しいビールを楽しむ事ができる。
品質の高さこそが、ドイツ人の誇りとアイデンティティである。
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