28.07.2009 am Dienstag
author : 永冶ベックマン啓子 Keiko Nagaya Beckmann
ドレスデンはエルベ河畔のフィレンツェと呼ばれるが、ドイツ東部ザクセン州の州都で人口約50万人の石畳の街である。この芸術文化・音楽・バロックの街は、2004年世界遺産に登録されたが、新しい橋の建造の為に本年タイトルを取り消された。戦争中の歴史は日本の広島や長崎とよく似ている。
第二次世界大戦も終わりに近い1945年2月13日の未明から2日間にかけての米英連合軍の激しい都市に対する最大規模の無差別空爆(サンダークラップ作戦)により街の85%が悲惨な爆音と破壊、高温の火の海の中で瓦礫の山と化した。
殆どが女性子供、高齢者の一般市民、多くの避難民であったが、亡くなった人の数は3万人とも15万人とも言われ、その数量の大悲劇が起きた。
英米人をアングロサクソン人と言うが、アングロ人もサクソン人も元々は北部に住んでいたドイツ人であり、ドイツは彼らの祖先の国でもある。
町のシンボルであったプロテスタントの聖母教会(1726-34)再建の為に、全世界から宗教人種を問わず150億円近い寄付金も集められ、コンピューター等新しい技術を導入し平和のシンボルとしてオリジナルに忠実に約260億円かけて再建されたのは、60年後の2005年10月であった。
当時空爆撃したイギリス兵士達のグループが丸屋根の上の十字架を作成寄贈した。古い祭壇や十字架は瓦礫の中から見つかり、教会内に置かれた。
その完成の祝典で、イギリス老兵士達が、肩を小さく揺らして泣いていた。
その姿は映像で当時全ドイツに流されて、その涙はドイツ人の心を柔らかくし「そうか、、もう許そうではないか、、、」との思いにさせた。
聖母教会は中に入ると、淡いピンク、黄色、ベージュ、緑、青のパステルカラーと、彫刻に金箔を貼り暖かい柔らかさと美しさに包まれる。古いパイプオルガンのメタルに鉛が使用されていたのも分かり、昔の響きが甦って音響も好い。
6月4日オバマ大統領は、カイロ大学で講演した後、パレスチナ問題解決協力を求めて、ドイツ/メルケル首相を訪問した。ドイツ側は、「私たちが問題解決に向けて出来る事は、全て行います」と話されている。
6月5日、メルケル首相の案内でオバマ大統領が、このドレスデンのフラウエン教会を訪問した。天使の声のような美しいコーラスの流れる中で、彼の目が潤んでいたのをドイツのカメラは逃さなかった。
その後、ワイマールに近いブーヘンバルド( Buchenwald )強制労働収容所の犠牲者追悼記念館に向かわれ、白い大輪のバラの花が奉げられた。オバマさんの母方の親戚にはドイツ人の祖先がいて、また大祖父さんがアメリカ軍の兵士としてこの強制収容所を開放した話を、幼い時に聞いていたという。
1937年~1945年4月11日まで、全ヨーロッパ各国から国家社会主義への政治的反対者、聖職者、ジプシー、ユダヤ人全員で25万人が収容され、56,000人が亡くなったが、その内ユダヤ人は11,000人となっている。
プーチン首相はKGBのスタッフとして以前ドレスデンに滞在した時期があり、すべての街の通りを知ると言われる。この夏オバマ大統領はプーチン首相をも訪問している。
ドレスデンは、チェコとの国境に35キロメートルの位置にあり、今でもラウジッツ地域には西スラブ系(スロバキア、チェコ、ポーランド)の少数民族ソルビア人(ソルブ人)が住む。ゲルマン民族の大移動時、エルベ川とオーデル川の間にはスラブ族が住んでいたが、ザクセン出身のドイツ王ハインリッヒ1世により征服された。
“スラブ”は、偉大さや栄光を意味するが、中欧、東欧の民族は2億5千万人を超え、ヨーロッパ最大の民族である。ドレスデンは、古代ソルビア語で(Dorezdany)ドレツダニーと言い、“沼地や湿原に住む人達”と言う意味である。
ドレスデン郊外25キロメートルにマイセンの町がある。1710年、ザクセンの選帝侯アウグスト・デア・シュタルケは、景徳鎮や古伊万里の熱狂的なコレクターだったが、ヨーロッパ初のマイセン陶磁器工房を設立する事に成功した。
彼は幅広い学問と教養を持ち、ポーランド王を兼ね、フランスのルイ14世の豪奢な宮廷に憧れ、ツヴィンガー宮殿を初め多くの建造物を残した。
王はもう1つ熱狂的にマイセンの白磁のように美しくセクシーな肌を持つ女性達を次から次へと手当たり次第欲望の向くままに愛し、残した子供の数が何と365人。しかも、その子供の名前を全部覚えていたとも伝えられる。ドイツ人口増加にこんなに寄与した男性を他に知らない。
ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館の館長さんから、これは秘密ですけどね、と以前教えていただいた話である。
話がそれたが、間もなく8月6日と9日この日本の原爆記念日にこそ、“広島・長崎の涙”を、私たち日本人も見たいと思っているのではないだろうか。
メルマガ「頂門の一針」1569号掲載記事
第二次世界大戦も終わりに近い1945年2月13日の未明から2日間にかけての米英連合軍の激しい都市に対する最大規模の無差別空爆(サンダークラップ作戦)により街の85%が悲惨な爆音と破壊、高温の火の海の中で瓦礫の山と化した。
殆どが女性子供、高齢者の一般市民、多くの避難民であったが、亡くなった人の数は3万人とも15万人とも言われ、その数量の大悲劇が起きた。
英米人をアングロサクソン人と言うが、アングロ人もサクソン人も元々は北部に住んでいたドイツ人であり、ドイツは彼らの祖先の国でもある。
町のシンボルであったプロテスタントの聖母教会(1726-34)再建の為に、全世界から宗教人種を問わず150億円近い寄付金も集められ、コンピューター等新しい技術を導入し平和のシンボルとしてオリジナルに忠実に約260億円かけて再建されたのは、60年後の2005年10月であった。
当時空爆撃したイギリス兵士達のグループが丸屋根の上の十字架を作成寄贈した。古い祭壇や十字架は瓦礫の中から見つかり、教会内に置かれた。
その完成の祝典で、イギリス老兵士達が、肩を小さく揺らして泣いていた。
その姿は映像で当時全ドイツに流されて、その涙はドイツ人の心を柔らかくし「そうか、、もう許そうではないか、、、」との思いにさせた。
聖母教会は中に入ると、淡いピンク、黄色、ベージュ、緑、青のパステルカラーと、彫刻に金箔を貼り暖かい柔らかさと美しさに包まれる。古いパイプオルガンのメタルに鉛が使用されていたのも分かり、昔の響きが甦って音響も好い。
6月4日オバマ大統領は、カイロ大学で講演した後、パレスチナ問題解決協力を求めて、ドイツ/メルケル首相を訪問した。ドイツ側は、「私たちが問題解決に向けて出来る事は、全て行います」と話されている。
6月5日、メルケル首相の案内でオバマ大統領が、このドレスデンのフラウエン教会を訪問した。天使の声のような美しいコーラスの流れる中で、彼の目が潤んでいたのをドイツのカメラは逃さなかった。
その後、ワイマールに近いブーヘンバルド( Buchenwald )強制労働収容所の犠牲者追悼記念館に向かわれ、白い大輪のバラの花が奉げられた。オバマさんの母方の親戚にはドイツ人の祖先がいて、また大祖父さんがアメリカ軍の兵士としてこの強制収容所を開放した話を、幼い時に聞いていたという。
1937年~1945年4月11日まで、全ヨーロッパ各国から国家社会主義への政治的反対者、聖職者、ジプシー、ユダヤ人全員で25万人が収容され、56,000人が亡くなったが、その内ユダヤ人は11,000人となっている。
プーチン首相はKGBのスタッフとして以前ドレスデンに滞在した時期があり、すべての街の通りを知ると言われる。この夏オバマ大統領はプーチン首相をも訪問している。
ドレスデンは、チェコとの国境に35キロメートルの位置にあり、今でもラウジッツ地域には西スラブ系(スロバキア、チェコ、ポーランド)の少数民族ソルビア人(ソルブ人)が住む。ゲルマン民族の大移動時、エルベ川とオーデル川の間にはスラブ族が住んでいたが、ザクセン出身のドイツ王ハインリッヒ1世により征服された。
“スラブ”は、偉大さや栄光を意味するが、中欧、東欧の民族は2億5千万人を超え、ヨーロッパ最大の民族である。ドレスデンは、古代ソルビア語で(Dorezdany)ドレツダニーと言い、“沼地や湿原に住む人達”と言う意味である。
ドレスデン郊外25キロメートルにマイセンの町がある。1710年、ザクセンの選帝侯アウグスト・デア・シュタルケは、景徳鎮や古伊万里の熱狂的なコレクターだったが、ヨーロッパ初のマイセン陶磁器工房を設立する事に成功した。
彼は幅広い学問と教養を持ち、ポーランド王を兼ね、フランスのルイ14世の豪奢な宮廷に憧れ、ツヴィンガー宮殿を初め多くの建造物を残した。
王はもう1つ熱狂的にマイセンの白磁のように美しくセクシーな肌を持つ女性達を次から次へと手当たり次第欲望の向くままに愛し、残した子供の数が何と365人。しかも、その子供の名前を全部覚えていたとも伝えられる。ドイツ人口増加にこんなに寄与した男性を他に知らない。
ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館の館長さんから、これは秘密ですけどね、と以前教えていただいた話である。
話がそれたが、間もなく8月6日と9日この日本の原爆記念日にこそ、“広島・長崎の涙”を、私たち日本人も見たいと思っているのではないだろうか。
メルマガ「頂門の一針」1569号掲載記事
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