27.03.2009 am Freitag
author : 永冶ベックマン啓子 Keiko Nagaya Beckmann
中国でのシンドラー、とも言われたドイツ人ナチス党員ジョン・ラーベの南京での戦争日記が、孫の手により1995年日の目を見て、エルヴィン・ヴィッケルトの編集で本が公開された。南京では、彼が住んでいた家が残り、英雄としてラーベの銅像が建っている。
これを基にして題名もその名前「ジョン・ラーベ」の映画が、ドイツ人映画監督フロリアン・ガレンベルガー36歳(オスカー受賞)により撮影され、ベルリンの映画祭でも話題になったが、この春4月2日からドイツ国内で上演される。
雑誌シュターンに紹介されたガレンベルガー映画監督の話によると: ラーベの人物像と中国の歴史は非常に複雑で困難を極め、我々に知らされていない事が実に多い。(ラーベの報告書は、2500ページあるという。)
特にこの時代の情報、日本に関して、ラーベに関して十分な情報がないと、退屈で長いただのエピソードとなってしまう為、脚本そのものがダメになってしまうと考え情報を集めた。
中国側からは撮影許可が最初は全面的におりず、後になって撮影許可と引き換えに大幅な脚本の内容変更を強制された。
日本人の出演依頼した俳優の半分以上から、こんな映画に出ると自分の俳優としての将来がだめになる、との理由で出演は断られた。
雪が降ったり悪天候もあり、もうこの映画制作は意味が無いから止めようかと、何回も悩んだと言う。そんな時、彼は1人の中国人に出会う。「13歳の時、外国人の家の庭に飛び込んで、他の仲間と共に命を助けられ本当に感謝をしている」と言われ、その外国人がラーベだった事が判明したので、やはりこの映画を完成させようと思い直したという。
映画では、ラーベは助けた中国人達に英雄的に感謝・拍手喝采を受け、日本兵を追い返して、死に別れたと思っていた妻とも喜びの再会をして終わりとなる。
「南京の真実」 ドイツ人ジョン・ラーベ著の本が、講談社から1997年10月に出版されているが、原書資料は444ページあり、この翻訳は333ページしかないので、通俗的歴史エピソード的な要素がかなり強い。
ラーベはジーメンス電気の南京支店に29年間滞在し、中国支社社長になっている。彼の南京での戦争日記は54歳の時、1937年9月22日から翌年1938年
2月22日までの5ヶ月間に渡る。この本に登場する日本兵は、あくまでも醜く姑息で本当に苦しくなるが、本当だろうか?
彼はジーメンス製の武器をオランダ会社を通して南京政府に売り込む仕事の為に滞在し、軍事顧問団も送られていた。本社から引き上げの指令が来たのにも関わらず、中国人の為に安全区を作り、ナチスの旗を使い中国人を助け、援助する為に帰国を延長している。ヒトラーにも、この悲惨な中国人を助けて欲しいと、連絡しているが本国での状況には詳しくなかったようだ。
後の中国大使エルヴィン・ヴィッケルトは、1936年ラーベと南京で出会うが、誤解が大きくインテリではない人物と観察批判をしている。
1938年ラーベはドイツに帰国するが、中国に置ける戦争状況の講演会を開き、ゲシュタポに逮捕され事情調査を受ける。如何なる講演も如何なる書籍の出版も禁止され、日記、秘密で撮影していたフィルムも没収された。
終戦後、ジーメンス社も爆弾で焼け出され働けない状況、1950年67歳で亡くなるが、1部屋で奥さんと生活し、中国から持ち帰った絨毯や古美術品をジャガイモや黒パンの食料品と交換した苦しい生活だったが、おそらく中国から何か小包が届いたのだろうと推測された。葬式は、奥さんと2人の子供達と、数人の友人のみの寂しいものだったそうだ。
雑誌シュターンには、南京の真実、300,000人の虐殺が日本兵によって為された、とのコメト付きで6人程の日本兵が4人の捕虜に銃を向け、その背後に30人位の日本兵が立っている古い写真も掲載されている。
ラーベ氏によればおよそ全部で5~6万人と推測されている。日本の教科書に記載されている推計20万人は、本当に根拠があるのだろうか。このままでは多くのドイツ人も単純に信じ込み、既に日本もドイツと同じ事をしたのではないか、というドイツ人からの意見も多くあった。
ドイツとフランス、ドイツとポーランドは、2カ国で間で共通の歴史認識を求め教科書作成委員会が出来ている。歴史が捏造されているのならば、きっぱりと
南京堵殺記念館を閉鎖するように日本は中国政府に申し込むべきだ。
(ミュンヘン在住)ながやベックマンけいこ
これを基にして題名もその名前「ジョン・ラーベ」の映画が、ドイツ人映画監督フロリアン・ガレンベルガー36歳(オスカー受賞)により撮影され、ベルリンの映画祭でも話題になったが、この春4月2日からドイツ国内で上演される。
雑誌シュターンに紹介されたガレンベルガー映画監督の話によると: ラーベの人物像と中国の歴史は非常に複雑で困難を極め、我々に知らされていない事が実に多い。(ラーベの報告書は、2500ページあるという。)
特にこの時代の情報、日本に関して、ラーベに関して十分な情報がないと、退屈で長いただのエピソードとなってしまう為、脚本そのものがダメになってしまうと考え情報を集めた。
中国側からは撮影許可が最初は全面的におりず、後になって撮影許可と引き換えに大幅な脚本の内容変更を強制された。
日本人の出演依頼した俳優の半分以上から、こんな映画に出ると自分の俳優としての将来がだめになる、との理由で出演は断られた。
雪が降ったり悪天候もあり、もうこの映画制作は意味が無いから止めようかと、何回も悩んだと言う。そんな時、彼は1人の中国人に出会う。「13歳の時、外国人の家の庭に飛び込んで、他の仲間と共に命を助けられ本当に感謝をしている」と言われ、その外国人がラーベだった事が判明したので、やはりこの映画を完成させようと思い直したという。
映画では、ラーベは助けた中国人達に英雄的に感謝・拍手喝采を受け、日本兵を追い返して、死に別れたと思っていた妻とも喜びの再会をして終わりとなる。
「南京の真実」 ドイツ人ジョン・ラーベ著の本が、講談社から1997年10月に出版されているが、原書資料は444ページあり、この翻訳は333ページしかないので、通俗的歴史エピソード的な要素がかなり強い。
ラーベはジーメンス電気の南京支店に29年間滞在し、中国支社社長になっている。彼の南京での戦争日記は54歳の時、1937年9月22日から翌年1938年
2月22日までの5ヶ月間に渡る。この本に登場する日本兵は、あくまでも醜く姑息で本当に苦しくなるが、本当だろうか?
彼はジーメンス製の武器をオランダ会社を通して南京政府に売り込む仕事の為に滞在し、軍事顧問団も送られていた。本社から引き上げの指令が来たのにも関わらず、中国人の為に安全区を作り、ナチスの旗を使い中国人を助け、援助する為に帰国を延長している。ヒトラーにも、この悲惨な中国人を助けて欲しいと、連絡しているが本国での状況には詳しくなかったようだ。
後の中国大使エルヴィン・ヴィッケルトは、1936年ラーベと南京で出会うが、誤解が大きくインテリではない人物と観察批判をしている。
1938年ラーベはドイツに帰国するが、中国に置ける戦争状況の講演会を開き、ゲシュタポに逮捕され事情調査を受ける。如何なる講演も如何なる書籍の出版も禁止され、日記、秘密で撮影していたフィルムも没収された。
終戦後、ジーメンス社も爆弾で焼け出され働けない状況、1950年67歳で亡くなるが、1部屋で奥さんと生活し、中国から持ち帰った絨毯や古美術品をジャガイモや黒パンの食料品と交換した苦しい生活だったが、おそらく中国から何か小包が届いたのだろうと推測された。葬式は、奥さんと2人の子供達と、数人の友人のみの寂しいものだったそうだ。
雑誌シュターンには、南京の真実、300,000人の虐殺が日本兵によって為された、とのコメト付きで6人程の日本兵が4人の捕虜に銃を向け、その背後に30人位の日本兵が立っている古い写真も掲載されている。
ラーベ氏によればおよそ全部で5~6万人と推測されている。日本の教科書に記載されている推計20万人は、本当に根拠があるのだろうか。このままでは多くのドイツ人も単純に信じ込み、既に日本もドイツと同じ事をしたのではないか、というドイツ人からの意見も多くあった。
ドイツとフランス、ドイツとポーランドは、2カ国で間で共通の歴史認識を求め教科書作成委員会が出来ている。歴史が捏造されているのならば、きっぱりと
南京堵殺記念館を閉鎖するように日本は中国政府に申し込むべきだ。
(ミュンヘン在住)ながやベックマンけいこ
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