27.08.2008 am Mittwoch
author : 永冶ベックマン啓子 Keiko Nagaya Beckmann
9月13日 “公式誓約の日(Offentlichen Geloebnis)”の招待状をある日息子が持参した。兵舎が開放され、全て自由に見学できると言う。
家族や親戚は誰でも参加でき、何人になるか人数を知らせる事になっていた。
「この日は二人とも、どうしても来て欲しい、時間を作ってね」と言い、カレンダーに大きく丸印を付けていた。
今、色々と行進や演劇など、その日の為に準備をしていると言う事だった。
息子のドイツの祖母(94歳)も、目を輝かせて「私も是非是非参加したいわ、お願い!連れて行って!」というが、連れて行きたいけれど、まる1日かかり、大変だし、無理だと言う事になった。
8月の最後の週末は、初めて帰宅しなかった。
テント持参で20人位の中隊で、オーストリアの国境近くの演習訓練にバスで出かけたそうだ。森のど真ん中に二人用のテントを張り、近くの草原には丘がいくつもある場所で、月曜日から、次の月曜日まで8日間そこで訓練があったそうだ。
夜は、2時間毎に2人組みで、夜警で立ったり、パトロールで全部テントの周りを静かに歩いたりした。狐や穴熊、鹿が出てきても、触らないようにと注意された。
最初の早朝時に、誰かが警砲を発射し、大きな爆発音で目が覚めた。
「アラーム、アラーム!」と大きな声がしたので、ズボンははいたままで横になっていたので、直ぐ急いで靴を履き、ヘルメットをかぶりテントを気をつけて出て、小銃を持ち匍匐(ほふく)前進しながら、丘の上まですすむ。
その丘の向こうには、敵が侵入して来ている、という深刻な事態を前提としての訓練であった。毎朝これを繰り返した。
その後、パン、チーズ、サラミ、コーヒーで、これ以上節約は出来ないだろうというお粗末な朝食を取り、昼食と夕食も大きなケースで運ばれてきて、それを大きな仮設のテントに当番が運んだという。
ある朝、息子は隣の仲間がゴソゴソとなにか音を立てているので、気がつくと、「アラームだよ! 警報が鳴ったよ、急げ!」と言われて、あわてて用意した。
あの大きな爆発音が聞こえなかった自分に驚いたという。
隣の仲間によると、「警砲の大きな音で一度起き上がったけど、また横になって寝たんだよ。」とその時の事を後に教えてくれた。僕は全然覚えていないので、
不思議な気がした、と言う。
ある朝、近くのテントで1人が気分が悪くなり、嘔吐し始めたそうだ。
その仲間が、大きな声で、「アラーム!アラーム!」と叫んだので、警砲はなかったが、全員がテントから準備して出てきて、匍匐前進して丘の上の方にすすんだ。
その後から、指令をいつも出す担当官が、「 誰がアラーム を出したのか!」とあわてて、赤い顔をしながら大きな声で叫んでいたが、シーン となり、誰も声を出さなかった。
毎日、近くの岩山に装備して登り、森の中を良く歩いたそうだ。
シャワーを浴びたのは、1回だけであった。
8月が終わり、第2回目の給与が出た、先月より、少しずつ増えて、総額が
500ユーロ(レート1,65で≒82,500円)を越していた。
この頃、ドイツ人の幼馴染の友達が、銃は持ちたくないし、体力もあまりないし、との理由で、ユース・ホステル(Jugendherberge) で代替的な非軍事的役務を始めていた。( 1909年、ドイツで青少年に清潔で安い費用で宿泊施設が提供できるようにと、運営が始められた)
「 毎日 毎日、皿洗いと、ベッドメーキング、部屋の掃除で、こんな事を9ヶ月間もするのかと思うと、退屈でいやになってしまう」、と嘆いていたそうだ。
( つづく )
家族や親戚は誰でも参加でき、何人になるか人数を知らせる事になっていた。
「この日は二人とも、どうしても来て欲しい、時間を作ってね」と言い、カレンダーに大きく丸印を付けていた。
今、色々と行進や演劇など、その日の為に準備をしていると言う事だった。
息子のドイツの祖母(94歳)も、目を輝かせて「私も是非是非参加したいわ、お願い!連れて行って!」というが、連れて行きたいけれど、まる1日かかり、大変だし、無理だと言う事になった。
8月の最後の週末は、初めて帰宅しなかった。
テント持参で20人位の中隊で、オーストリアの国境近くの演習訓練にバスで出かけたそうだ。森のど真ん中に二人用のテントを張り、近くの草原には丘がいくつもある場所で、月曜日から、次の月曜日まで8日間そこで訓練があったそうだ。
夜は、2時間毎に2人組みで、夜警で立ったり、パトロールで全部テントの周りを静かに歩いたりした。狐や穴熊、鹿が出てきても、触らないようにと注意された。
最初の早朝時に、誰かが警砲を発射し、大きな爆発音で目が覚めた。
「アラーム、アラーム!」と大きな声がしたので、ズボンははいたままで横になっていたので、直ぐ急いで靴を履き、ヘルメットをかぶりテントを気をつけて出て、小銃を持ち匍匐(ほふく)前進しながら、丘の上まですすむ。
その丘の向こうには、敵が侵入して来ている、という深刻な事態を前提としての訓練であった。毎朝これを繰り返した。
その後、パン、チーズ、サラミ、コーヒーで、これ以上節約は出来ないだろうというお粗末な朝食を取り、昼食と夕食も大きなケースで運ばれてきて、それを大きな仮設のテントに当番が運んだという。
ある朝、息子は隣の仲間がゴソゴソとなにか音を立てているので、気がつくと、「アラームだよ! 警報が鳴ったよ、急げ!」と言われて、あわてて用意した。
あの大きな爆発音が聞こえなかった自分に驚いたという。
隣の仲間によると、「警砲の大きな音で一度起き上がったけど、また横になって寝たんだよ。」とその時の事を後に教えてくれた。僕は全然覚えていないので、
不思議な気がした、と言う。
ある朝、近くのテントで1人が気分が悪くなり、嘔吐し始めたそうだ。
その仲間が、大きな声で、「アラーム!アラーム!」と叫んだので、警砲はなかったが、全員がテントから準備して出てきて、匍匐前進して丘の上の方にすすんだ。
その後から、指令をいつも出す担当官が、「 誰がアラーム を出したのか!」とあわてて、赤い顔をしながら大きな声で叫んでいたが、シーン となり、誰も声を出さなかった。
毎日、近くの岩山に装備して登り、森の中を良く歩いたそうだ。
シャワーを浴びたのは、1回だけであった。
8月が終わり、第2回目の給与が出た、先月より、少しずつ増えて、総額が
500ユーロ(レート1,65で≒82,500円)を越していた。
この頃、ドイツ人の幼馴染の友達が、銃は持ちたくないし、体力もあまりないし、との理由で、ユース・ホステル(Jugendherberge) で代替的な非軍事的役務を始めていた。( 1909年、ドイツで青少年に清潔で安い費用で宿泊施設が提供できるようにと、運営が始められた)
「 毎日 毎日、皿洗いと、ベッドメーキング、部屋の掃除で、こんな事を9ヶ月間もするのかと思うと、退屈でいやになってしまう」、と嘆いていたそうだ。
( つづく )
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