09.11.2009 am Montag
author : 永冶ベックマン啓子 Keiko Nagaya Beckmann
数えれば48年前、1961年8月13日午前0時から朝6時までに、東ドイツは赤い海に浮ぶ孤島と言われた西ベルリンから東ベルリンへの68の道路を全て封鎖し、その日の午後1時までに有刺鉄線が全て張られた。
当時東ドイツから西ドイツへの逃亡が、毎年数万人から数十万人以上にもなり、この逃亡を防ぐのが目的であった。
2日後から、石やコンクリート(アスベスト)の壁建設が始まり、丁度境になっていた建物の窓も封鎖され、ギリギリでこの日窓から飛び降りて逃亡する人達の映像も残っている。
壁は市内で1975年までに155km完成し、国境は1400kmに渡り2重の有刺鉄線で緩衝地帯が作られ、銃を持つ警備員が見張りについた。
壁が崩壊するまでの20年刊の間に、5,000人が西側へ自由を求めて逃亡し、逃亡が失敗して亡くなった人が192人、見付かり逮捕されて刑務所に送られた人達は3,000人以上となっている。
1989年11月9日ベルリンの壁崩壊、本年2009年は20年記念式典がブランデンブルグ門で象徴的に壁のドミノ倒し、野外コンサートが世界の政治家達関係者が参加して雨の中開催された。
ベルナウワー通りでは5人が亡くなっているが、死の国境として2重の壁とオリジナルの監視搭が残され、21カ国の自由画家達の有名な壁画も残されている。
10月31日にはベルリンで、ゴルバチョフ78歳、杖をついたブッシュ85歳、昨年から車椅子に乗り病んでいるのが顔にも、手にもスピーチにも隠せなかったコール元首相79歳、が集まる記念式典も催されたが、コールはドイツの名誉と誇りを強調していた。
最近の調査では、驚く事に8人に1人は昔のように壁があったほうが良いと考え、旧東ドイツでは13%、旧西ドイツでは12%を占める。この人達は失業者、労働者、左派の支持者となっている。ここではユダヤ系ドイツ人エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」が見られるようだ。
彼によれば、人間性が開花されない時に、神経症や権威主義、全体主義、サディズムや・マゾヒズムが倫理的な破綻として起きるとする。
東西の格差は少しづつ少なくなってはいるが、物価は20~25%旧東の方が安いが、給料もまだ同一にはなっていない職業もある。息子が20歳になったが、やはり更に時間を掛けないと20年では何かと成熟できない時間である。
旧東では仕事がないので、旧西ドイツで働いていた人達が、ホームシックになり故郷へ戻る人達も出て来ている。
逮捕されて刑務所に入れられた人達には、収入により250ユーロの損害賠償の慰謝料が支払われているが、収入に関係なく支払われるべきだとの訴訟が続き、間も無く全員に支払われる事になる。
旧東ドイツの壁の中で生きて、自由と人生を引きさかれ、深く傷ついた人達のドキュメンタリー番組が多く紹介されている。
秘密警察シュタージーだった人達が、警察や役人などそのまま仕事を続けているのには批判も多く出ている。
自由とは、奇妙な特別のもので、時として居心地も悪く、自分の意思、考え、欲望、つまり言動、人生、社会に責任を持ち、何かを決定する為には頭脳も使わなくてはならない。
考えるという事は、多面的な情報も必要であるし、実に大変な労働でもある。
しかし、自分でリスクを背負い決断して生きる事そのものが手ごたえのある人生で、自由とは愛するべきものである。
完全なる自由などという物はないが、つまずきながら闘い、個人の革命と覚醒がより要求されている。
他人が決めた一見安全に思える甘い麻薬の下で生きる人生より、より自由に生きる為に、困難の克服を含めて、多くの事が個人に要求される。
幼稚園の時から、自分の意見、意思、感想考えを表現する訓練がなされ、人間としてどの様に生きるか、自分の存在とは何かと、自我の確立を考え、自由とは何かを考え続ける。
考えてみれば、私自身も自由を求めて日本を出たのかもしれない。
ミュンヘン在住 ナガヤ ベックマン ケイコ
当時東ドイツから西ドイツへの逃亡が、毎年数万人から数十万人以上にもなり、この逃亡を防ぐのが目的であった。
2日後から、石やコンクリート(アスベスト)の壁建設が始まり、丁度境になっていた建物の窓も封鎖され、ギリギリでこの日窓から飛び降りて逃亡する人達の映像も残っている。
壁は市内で1975年までに155km完成し、国境は1400kmに渡り2重の有刺鉄線で緩衝地帯が作られ、銃を持つ警備員が見張りについた。
壁が崩壊するまでの20年刊の間に、5,000人が西側へ自由を求めて逃亡し、逃亡が失敗して亡くなった人が192人、見付かり逮捕されて刑務所に送られた人達は3,000人以上となっている。
1989年11月9日ベルリンの壁崩壊、本年2009年は20年記念式典がブランデンブルグ門で象徴的に壁のドミノ倒し、野外コンサートが世界の政治家達関係者が参加して雨の中開催された。
ベルナウワー通りでは5人が亡くなっているが、死の国境として2重の壁とオリジナルの監視搭が残され、21カ国の自由画家達の有名な壁画も残されている。
10月31日にはベルリンで、ゴルバチョフ78歳、杖をついたブッシュ85歳、昨年から車椅子に乗り病んでいるのが顔にも、手にもスピーチにも隠せなかったコール元首相79歳、が集まる記念式典も催されたが、コールはドイツの名誉と誇りを強調していた。
最近の調査では、驚く事に8人に1人は昔のように壁があったほうが良いと考え、旧東ドイツでは13%、旧西ドイツでは12%を占める。この人達は失業者、労働者、左派の支持者となっている。ここではユダヤ系ドイツ人エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」が見られるようだ。
彼によれば、人間性が開花されない時に、神経症や権威主義、全体主義、サディズムや・マゾヒズムが倫理的な破綻として起きるとする。
東西の格差は少しづつ少なくなってはいるが、物価は20~25%旧東の方が安いが、給料もまだ同一にはなっていない職業もある。息子が20歳になったが、やはり更に時間を掛けないと20年では何かと成熟できない時間である。
旧東では仕事がないので、旧西ドイツで働いていた人達が、ホームシックになり故郷へ戻る人達も出て来ている。
逮捕されて刑務所に入れられた人達には、収入により250ユーロの損害賠償の慰謝料が支払われているが、収入に関係なく支払われるべきだとの訴訟が続き、間も無く全員に支払われる事になる。
旧東ドイツの壁の中で生きて、自由と人生を引きさかれ、深く傷ついた人達のドキュメンタリー番組が多く紹介されている。
秘密警察シュタージーだった人達が、警察や役人などそのまま仕事を続けているのには批判も多く出ている。
自由とは、奇妙な特別のもので、時として居心地も悪く、自分の意思、考え、欲望、つまり言動、人生、社会に責任を持ち、何かを決定する為には頭脳も使わなくてはならない。
考えるという事は、多面的な情報も必要であるし、実に大変な労働でもある。
しかし、自分でリスクを背負い決断して生きる事そのものが手ごたえのある人生で、自由とは愛するべきものである。
完全なる自由などという物はないが、つまずきながら闘い、個人の革命と覚醒がより要求されている。
他人が決めた一見安全に思える甘い麻薬の下で生きる人生より、より自由に生きる為に、困難の克服を含めて、多くの事が個人に要求される。
幼稚園の時から、自分の意見、意思、感想考えを表現する訓練がなされ、人間としてどの様に生きるか、自分の存在とは何かと、自我の確立を考え、自由とは何かを考え続ける。
考えてみれば、私自身も自由を求めて日本を出たのかもしれない。
ミュンヘン在住 ナガヤ ベックマン ケイコ
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